昨日「Mrサンデー」でイジメの取材を放送していましたが、当事者の状況を見ていると、何かお話ししたくなりました。

 私が中学校の時、もう30年も前になります。私は中学校生活を気を遣いながら過ごしていた記憶しかありません。中学時代は本当に人間関係が難しくなります。クラスがグループに分かれて、どこかのグループに所属していないと「空気」という存在になります。一人になっていることには怖いことはないのですが、誰かに相談したり、困ったことがあっても、誰も助けてくれないし、不安になるので、無理にグループに馴染もうとして変な努力をしていたように記憶しています。

 だから親しい友人から「これ、カワイイ」とか言われると、本心は大事なモノであっても、無理してあげたりしていたこともあったと思います。

 今はメールやネットサイトも加わって、より複雑になっていると思います。勉強もして、友達とも上手くやって、塾やクラブまで抱えると、中学校生活って本当に息苦しいですね。

 虎舞竜の高橋ジョージさんがある番組で仰っていたことがあります。一人の男の子が数人にボコボコにされていたので注意したそうです。虐められていた子に「大丈夫?」って声をかけると「やめて下さいよ。僕、明日から学校に行けないじゃないですか」と逆に指摘されたそうです。高橋ジョージさん、良いことをした筈なのに、逆に考えさせられてしまったようで、複雑な心境が良く分かりました。

 私は中学3年生の時に「クラスから浮いてしまった」ことがあります。お弁当の時間が一番辛かったです。友達がいないので、一人で食べないといけません。つまらないから食べないで、他のクラスの仲の良いこのとこへ行って話をしていたのです。お弁当は家に帰って、親に見つからないようにコッソリ自分の部屋で食べていました。

 そんなことしていたら「こっちへ来て一緒に食べよう」と言ってくれた人がいたのです。チョット遠慮していたら「先生に気付かれて問題になったら内申書にも響くし、ホームルームになったら時間が勿体ないでしょ」って。親切心ってモノではなかったのです。当時の担任の先生は「みんな無事卒業をしてくれた」って大喜びだったでしょう。先生、30年経って同窓会が一度もないことに疑問を持ちましょうね。

 そうやって先生の見えないところで、問題は起こっているのです。よく学校側から「分からなかった」って言う言い方をされていることが多いですが、雰囲気がおかしいことは気付いても、当事者の特定が出来ないのが現実だと思うのです。確かに先生の能力の問題もあるとは思います。でも中学生は大人が思いつかいことを考える力があります。今はネットなどで情報は取り放題。今後はイジメ問題は更に表面には出て来ないでしょう。巧妙に且つ静かに行われるのです。

 厄介なのが「当事者は口を割らない」こと。口を割るとしたら、自殺する時か学校を辞める時だと思います。よく「勇気を持って」って言われますが、それは無理。無理にしている理由って考えたことありますか?

 一つは「子供は学校へ行くことが仕事」と親が言っていること。もう一つは「学校では友達と遊ぶことが普通」と親が思っていること。あとは「学校を卒業しないと、将来がない」と親も子も思っていること。

 転校とか停学処分とか色々仰っていますが、私としては家庭教育(アメリカなどでされている家庭教師など)での単位を認める方向もどうかな、と思います。イジメられたからと言って勉強をする権利まで奪う必要もないのです。

 議論をする時に「昔は」とか「常識的には」ということは止めて欲しいです。学校=バトルトワイヤルと思った方が良いのではないでしょうか。